vehicles stopping near pedestrian

 

言語学の世界には「Language does not exist in a vacuum.」(言語は真空の中に存在しない)という有名な格言があります。

 

非常にシンプルな英文ですが、「言語」という独立したモジュールがあたかも「真空空間」に単独で存在している訳ではなく、その時々の文脈や環境、聞き手や話し手のバックグラウンド等、様々な外的要因が互いに作用しあって初めて、言語コミュニケーションが成り立っているという事実を如実に物語っていますね。

 

例えば、一口に「言語を話す」とは言ってみても、話者の居住国や地域、文化背景、人種、社会階級、性別、年齢、社会的地位、政治信念、宗教等、その話者の言語使用に影響を与えうる社会的要因には枚挙に暇がありません。

これらの要因と言語の関係性を解き明かす学術領域を「Sociolinguistics」(社会言語学)と呼びます。

 

社会言語学の最も顕著な研究対象は「地域方言」でしょう。例えばアメリカ、イギリス、フィリピン、インドでは其々異なったバラエティの英語が使用されることはよく知られていますね。

 

この社会言語学という学術領域において、その先駆けとなった大変有名な研究があります。

米ペンシルベニア大学・言語学教授William Labov博士が1962年に実施した実験です。

彼と研究チームは、ニューヨーク市マンハッタンの上位中流階級のデパート「Saks Fifth Avenue」、中流階級デパート「Macy’s」、当時労働者階級に高頻度で利用されていたディスカウントショップ「S.Klein」の3つの異なる百貨店において、客を装い、店員に以下の様な質問を投げかけたのです。

 

Excuse me, where are the women’s shoes?」(すみません、女性用の靴はどこにありますか?)

Excuse me, where can I find the lamps?」(すみません、ランプはどこにありますか?)

 

 

実はこの質問への回答は毎回全て「Fourth floor.」(4階です)となるように意図的に設計されていました。

更に店員の回答に対してLabov博士は回答が明確に聞こえていたにもかかわらず、「I’m sorry?」(すみません、もう一度言ってください)と毎度聞き直しました。

 

彼は一体何を確認しようとしていたのでしょうか?

 

Labov博士は「Fourth floor.」という「R」の子音が2回発生する2単語を、異なる社会階級のデパート店員に発音させることで、社会階級と英語の発音に関係があるかを探ろうとしたのです。彼は上流階級に行けば行くほど「R」の子音は正確に漏れなく発音され、対照的に社会階級が下がれば下がるほど「R」の子音は脱落・省略される傾向にあるのではないかと仮説付けていました。

 

加えて「I’m sorry?」と故意に聞き返すことで、店員により明瞭に「Fourth floor.」を再度発音させようとしたのです。これにより店員1人あたり4回「R」の子音を発音させられることになったのですね。

この大変興味深い実験の結果は極めて明確なものでした。

 

Labov博士が予測した通り、上位中流階級デパートでは91%の確率で「R」の子音が正確に発音されていたのに対して、中流階級デパートでは約40%、労働者階級ディスカウントショップでは約30%程度しか発音されていませんでした。(下図参照)

 

出典: Labov(2006)

 

この社会言語学的実験は一見シンプルですが、非常に強力な結論を導き出しました。
即ちのSocial Classが言語の使用に直接的な影響を与えることが実証された瞬間だったのです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

言語はそれそのものがあたかも独立した存在のように捉えられることが多いですが、話者の労働環境、職場の社会階級によってこれ程までに顕著に差が現れることがお分かりいただけたのではないでしょうか?

勿論1つの言語バラエティが、もう一方のバラエティよりも優れている等ということは決してありません。

言語は、話者の居住国や地域、文化背景、性別、年齢、社会的地位、政治信念、宗教等に常に色濃く影響を受けていますが、例え同じ話者であっても、その時々の環境に応じてスピーチパターンを無意識に変えています。私達も、ビジネスにおいて顧客と会議する際の話し方と、親しい友人との話し方では全く異なりますよね。

このような社会的要因が言語の多様性を育んでいるのであり、私達の言語使用は違っているからこそ、面白く、奥深いものなのではないでしょうか。

参考文献:

Labov, W. (2006). The social stratification of English in New York city. Cambridge University Press.