皆様は日々英語学習に取り組まれていらっしゃる中で、日本語と英語の言語的構造が全く異なると感じられることが多々あるかと思います。
例えば日本語はSOV言語に分類され、主語の次に目的語が来て、最後に動詞がきます。一方英語はSVO言語ですので、主語の次に動詞が来て、最後に目的語が来ます。
語順の違いもさることながら、例えば「お疲れ様」、「よろしく」、「微妙」等、英語には到底正確に訳せない言葉も日本語には多くありますし、日本語だと「ズボン」、「ハサミ」等を「一つのもの」として認識してしまいがちですが、英語だと「a pair of pants」、「a pair of scissors」と2つの個体のペアと表現しますから、最初は少しびっくりしますよね。
その言語が話されている社会、コミュニティの文化・思考パターンが、言語に反映されているのか、はたまたその言語自体が話者の思考や世界観を形成しているのか、という疑問は1940年台から現在に至るまで言語学者の間で盛んに議論され続けています。
「言語が話者の思考を形成する」という仮説を「Linguistic Relativity Hypothesis(言語的相対仮説)」もしくはそれを最初に提唱した学者2名の苗字を取って「Sapir-Whorf Hypothesis(サピア・ウォーフ仮説)」と呼びます。
この仮説の真偽に対しては非常に様々な議論が繰り返されてきましたが、提唱された当初は「言語は話者の思考・世界観を決定・制限する」、即ち「人は自らの言語の中でしか思考できない」というとてつもなく強い主張すらされていました。
例えば、ある言語には「船」という単語が存在しないとします。この言語の話者を港に連れて行ったら、彼らに船は見えないのでしょうか? 答えはNOで、言語にその単語が存在しなくても、その物事を知覚することは当然可能ですね。このように言語的相対仮説の勢いは主流言語学者達によって否定され、徐々に下火となっていきます。
しかし近年では、この仮説の重要性が再認識され始めており、「言語は話者の思考を決定・限定はしない。しかし言語は話者の思考にある程度の影響を与え得るのではないか」ということが言われ始めました。これを「Weak Linguistic Relativity Hypothesis(弱言語相対仮説)」 と呼び、様々な言語学者・認知科学者がこの謎の解明に取り組んでいます。
マサチューセッツ工科大学教授Jonathan Winawer博士とそのチームが2007年に大変興味深い実験結果を報告しています。
英語には青色を表す基本単語が「blue」しか無く、濃い青を表す際は「dark blue」、薄い青を表す場合は「light blue」と言った風に「blue」という1つの単語を使い回します。一方、ロシア語では濃い青は「goluboy」、薄い青は「siniy」と完全に独立した単語が区別して使用されます。
Winawer博士達はこの言語学差異に着目し、英語話者とロシア語話者の被験者にそれぞれ、以下の様な「青みの異なる複数のパネル」を提示し、「どちらのグループががより早く正確に異なる青の濃さを識別できるか」を実験しました。
出典: Winawer, J., Witthoft, N., Frank, M. C., Wu, L., Wade, A. R., & Boroditsky, L. (2007)
この実験の結果、ロシア語話者の方が、英語話者被験者よりも、遥かに素速く「青みの差異」を認識できることが確認されました。これは異なる事象に対して、別々の語彙を持つことにより、その事象をグループ化する能力が向上する可能性を裏付けています。
もう一つ興味深い例をご紹介しましょう。
オーストラリアの西部、ケープヨーク半島にポーンプラアー自治区というオーストラリア先住民自治区があり、そこでは「クークターヨレ」という言語が話されています。驚いたことにこの言語には、英語や日本語の様に「前後左右」という概念が存在しません。
即ち「カップを左に動かしてくれ」や、「男の子が後ろに立っている」という表現が一切されないのですね。
では彼らはどのように物理的位置を表現するのかというと、「東西南北」の絶対方位を使用します。
つまり「カップを北北東に動かしてくれ」や「男の子が南に立っている」という表現をします。
英語や日本語の話者にとって、前後左右は本人の視点によって常に変化しています。例えば東京タワーの正面玄関に向かって立っている人にとっては「東京タワーは前」にありますが、同じ人がぐるっと180度回転すると、その人にとって「東京タワーは後ろ」になりますよね。これが相対方位です。
クークターヨレ語話者にとってはこのようなことは起こりません。自分が何処に行って何をしようと、「東西南北」という方位は絶対であり、普遍の位置情報なのですね。
この言語学的差異を利用してカリフォルニア州立大学サンディエゴ校認知科学教授・Lera Boroditsky博士と彼女のチームが2010年に面白い実験を実施しています。
Boroditsky博士は、以下のように彼女の祖父の違った年代の写真を4枚用意し、英語話者グループとクークターヨレ語話者グループにそれぞれ4枚の写真を「年代順に並び替えるように」指示しました。
出典: Boroditsky & Gaby(2010)
結果、英語話者のグループは、被験者がどの方角を向いていても、写真を若い方から順に「左から右に」並べました。
しかしクークターヨレ語話者は、被験者が南を向いている時は、写真を若い方から「左から右に」並び替えたのに対して、北を向いている時は「右から左に」並び替えたのです。
これは即ち、クークターヨレ語話者は、抽象的な概念である「時間」が「東から西に流れている」かのように認知しており、一方で英語話者は、時間が「左から右に流れている」ように認知しているということを示唆しています。
これは被験者の母語の言語学的構造が、被験者の「’時間’という抽象的概念」への認知方法に影響をもたらしている証拠に他なりません。
まとめ:
如何でしたでしょうか?
「言語は話者の思考を決定・制限する」という当初の「Linguistic Relativity Hypothesis(言語的相対仮説)」は、余りにも荒唐無稽で無茶な理論ではありますが、「言語は話者の思考や世界観にある程度の影響を与える」という「Weak Linguistic Relativity Hypothesis(弱言語的相対仮説)」に対する論理的証拠は上記の様に次々と発表されており、ある程度信憑性が高そうです。
皆様も英語を話している時の自分と、英語を話している時の自分が別人のように感じることはありませんか?
もしかすると英語という新しい言語を学習することによって、私達の思考が少なからず影響を受け始めているのかも知れませんね。
参考文献:
Boroditsky, L., & Gaby, A. (2010). Remembrances of times East: absolute spatial representations of time in an Australian aboriginal community. Psychological science, 21(11), 1635-1639.
Winawer, J., Witthoft, N., Frank, M. C., Wu, L., Wade, A. R., & Boroditsky, L. (2007). Russian blues reveal effects of language on color discrimination. Proceedings of the national academy of sciences, 104(19), 7780-7785.